未来日記 (人格障害の疑いがある娘の為に作ったブログです)

はじめまして未来です。ブログって何?て程、無知な私が始めたブログです。娘ゆずきは多分今、人格障害とゆう病に侵されてます。そんな娘の悩みを母親として、一緒に考えてあげたく、私の過去を振り返りながら立ち上げました。ブログ全くの初心者です。話があやふやになってしまったらすみません…>_<…

母の恋

生きてるなら

私も誰かに愛されたい


人は誰しもがそう思っているでしょう。



あ、いきなりまた訳のわからない書き出しですみません。


なんとなく、最近はそんな事ばかりが頭をよぎってしまうんですよ。


さて、前回は私が鬱になった事を少し書きましたが、今日は、その鬱になったきっかけの事をもう少し話しますので、良かったら読んで見て下さいね。



離婚後しばらくは、仕事する事で今までの自分を忘れようとしてました。


自分逹夫婦の勝手な離婚。

子供逹には何も罪はないんです。


夏休みのある日。

突然いなくなった母…


それが何故なのか

ゆずきだけはわかりません。


どうして?

どうしてお母さんは帰って来ないの…


その理由をゆずきが、誰に、どう聞いたのか、私には知る事は出来ないのです。


昨日まで、普通に甘えて、笑ってた母…

何で突然居なくなっちゃったの?


ゆずきの事、嫌いになったから?


私逹夫婦の別れた訳。

そんな事はどうでもいい話。


どっちが良いとか悪いとか、そんなの只の言い訳でしかないんですよ。


小さなゆずきにとっては

お母さんが居ない…


その現実だけなんですから。



私の実家。

近くにあったんです。


前に住んでた所から、歩いても20分程でしょうか。子供逹の通ってる通学範囲内。


だから、いつでも会えたんです。


ゆずきは毎週のように実家に泊まりに来てました。

小さな手提げ袋に、着替えとお菓子持ってね。


おそらくは自分で用意したのでしょう。

着替えはたたんではありますが、とりあえず入れて来ただけどゆう感じで、持参したお菓子も駄菓子屋で買って来たかのように思える小袋サイズばかり。


「お母さんと一緒に食べようと思って持って来たよ」


にしては、多くないか?

と、毎回思ってたのを覚えてます。



そんなゆずきが4年生になった頃。

私に、新たな彼が出来ました。


7つ年上でバツ1の彼。

私と同じく子供とは別居中の人で、当時流行ってたネットで知り合いました。


彼はとても優しい人で、動物も子供も大好きで、私は直ぐに彼の事が大好きになったんです。


もちろんお互い最初から全て話してましたから、離婚の事も、子供が居る事も全部わかった上での交際。


言っちゃ何ですけど、元ダンナには芽生える事のない気持ちになっちゃいましたね。


そんな彼ですが、彼が住んでるのは私の実家から車で数十分離れた場所にあり、車なんて持ってない私です。


毎回、原チャリ走らせて会いに行ってましたよ。


その頃はゆずきも少し親離れですかね。


毎週実家に来るとゆう事はなく、友達と約束あるから また今度ね!

娘にフラれ、内心


「よっしゃ〜 今週はデートじゃ」


なぁ〜んて、母親はお休みして彼に会いに行ってたなぁ。

ゆずきの気持ち

こんにちは。


私の住んでる関東は、最近雨ばかり。

秋の長雨の季節ですから仕方がないんですけども。


雨ってだけで、気が滅入りませんか?


そうですねぇ

わかっていても、やっぱり雨の日は嫌いかな。


余計に気持ちが落ちる。

鬱の人は尚更そう感じませんか?


私も、今から約10年前ですかね。

暗い、暗い闇の中にいました。


毎日死ぬ事ばかり考え、どうやったらその苦しみから逃れられるのだろう…


そんな事しか考えられない時期もあったんです。


何も食べられず、眠る事も出来ず、自分の意識はどこにあるのかさえわからず。


周りの人の姿も声も

その時の私には届きませんでした。


もちろん病院にも通ってましたよ。

安定剤と眠剤を処方して貰って。


でも、精神的病は薬だけじゃダメなんです。


本人がその病に向き合い、絶対に治すんだ!


と言う、強い意志が必要なんですよ。


当時私は、離婚後実家に戻ってました。


私の実家には、体の不自由な祖母が居て、脳梗塞で倒れ動けなくなった父親が居て、その2人の介護をしながら働く母親。


そんな実家暮らしでしたね。


そんな大変な生活をしてる中でも、私が離婚する事を母親に相談した時、母は私に言ってくれました。


「そんなに辛いならいつでも帰っておいで」


出来る事なら、子供逹を連れて実家に戻りたかった…


でも、そんな大変な環境の中に、私が3人の子供逹を連れて行ったら…


ムリですよね…


がむしゃらで男に負けないくらいに頑張る私の

母親。


そんな母親ですからね、きっと子供逹を連れて帰っても、自分が更に頑張ればいい!


きっとそう思ったでしょう。


だとしても、私は働かなくてはならないんです。

私が仕事から帰って来るまでの間、3人の子供逹は誰が面倒見るの?


当然、私の母親ですよね。


朝早く起きて、祖母と父にご飯を食べさせ仕事に行く。


昼休みに戻って、また2人の食事を済ませ午後からの仕事。


夕方戻って来る前に買い物をして、家に帰るなり夕飯の支度。

それが終わると次は、夜のバイト。


自分の母親ながら褒めてあげたいです。


私にはそんな毎日の生活は絶対出来ませんもの。


60超えた女が、よくぞそこまで動けるよ。


母親はきっと、自分の家族だから自分が守るんだ!


そう思ってたのでしょう。



だから諦めました。


子供逹を連れて実家に戻る事。


仕方がないんです。

だって、これ以上母親に負担を増やす事は出来ないのだから。


もちろん子供逹を捨てるなんて

そんな事、考えた事も、思った事もありません。


私も母親です


捨てられたんだ…


子供逹に、そう思われたくない。

だから、ゆずきの2人の兄には家を出る前に話をしました。


どうして母が家を出て行くのか。

どうして自分逹を連れて行けないのか。


いつでも会える事。

離れていても気持ちは一緒だと言う事。


兄逹2人が私の話しを聞いて理解出来たのか。


わかりません……


只、兄逹は言いました。


「お母さんに着いて行ったら、お母さんもばーちゃんも、今より大変になっちゃうから…だから僕逹はお父さんの所に残るよ」



ゆずきはこの場には居ませんでした。


小学3年になったばかりの女の子に、そんな大人の都合で別れる話なんて理解出来ない。


そう勝手な私の決め付けで、ゆずき抜きの話だったんです。


仮にあの時、ゆずきにちゃんと理由を話てれば、あの子はあの子なりに理解してくれたんでしょうかね?


ちゃんと理解して、お母さんは私を捨てたんじゃない!


考える事はなかったのでしょうか。

鬱のきっかけ

こんばんは。


本日2度目の書き込みです。


今、ちょっと気持ちが凹んでて、その気持ちを吐く場所が無かったもんですから、またブログ書いてます。



夕方の事なんですけどね。


ゆずきの信じられない行動を知り


「あぁ… やっぱりあの子普通の精神じゃないんだな…」


また、実感して1人泣いてしまいました。



ゆずきは現在家を出て、彼氏と同棲中。


ゆずきが一人暮らしした理由はまた後ほど書く事にしますが


とりあえず今は、ゆずきの現在の病に至るまでついて聞いて下さい。



私があの子の変化に気付いたのが、6月の終わる頃だったでしょうか。


昼休み中、ゆずきからLINEが届きました。



「母… 仕事が辛い…」



その数分後

ゆずきから電話が来たんです。


仕事中に涙が出そうになって、それを我慢するのが凄く辛い…


帰りたいけど、人が居ないから帰れない。


携帯から聞こえて来る

ゆずきの泣き声。


初めてでした。


あの子が仕事中に泣きながら電話して来るなんて、私は全く想像すらしてなかったから。


驚くよりも、かなりショックでしたよ。


人前ではけして泣かない子。


私はずっと、ゆずきはそんな娘なんだ

思ってたんですから。



そうですね。


おそらくこの頃からでしょう

ゆずきの体に変化が現れ始めたのは。


いえ、或いは、もっともっと前から病んでいたのかも知れませんね。


高校の時のゆずきは、マラソン大会で


「ウチね、女子の中ではめちゃくちゃ速いんだよ! 今年もかなり上位でゴールしたんだから。凄くねぇ」


病気1つ知らない程、元気いっぱいな子だったんです。


ところが、一人暮らしを始めて数ヶ月経った頃でしょうか


不整脈

数値が150オーバー!


めまい、吐気、頭痛


立っているのがやっとの中、その日は夜勤。


誰も居ないんです。


ゆずきの周りに居るのは

寝たきりの入居者だけ


助けを呼ぼうにも呼べないんですよ。


ゆずきが介護してる方は、いわゆるアルツハイマーと呼ばれてる方ばかり。


言葉がハッキリ理解出来る人は居ないのだから。



そんな苦しい中でも、ゆずきは仕事を投げる事はしませんでした。


自分が倒れる訳にはいかない!

せめて、引き継ぎの人が来るまでは!



激しいめまいと吐気のする中、リーダーに電話を入れ、その人が来てくれるまでの間は、倒れないよう、体を休めながらも入居者の方のお世話をしていたそうです。



不整脈については、もちろん病院にも行きましたよ。


特に心臓に異常があるわけでもなくて

原因不明…


おそらく

ストレスでしょう


で、薬を処方されて終了…


不整脈については、今だに原因はわかっていません。


介護職とゆう体力仕事。

不整脈と戦いながら続ける事なんて出来るのだろうか?


母がこれだけ不安を感じて居るのだから

当然、本人はもっと不安だったでしょう。


案の定、それからのゆずきは自分に自信を失っていきました。


介護職は嫌いじゃない。


だけど…

だけど体が動いてくれないんだよ!


悔しさ、イライラ、自分に対する情けなさ


入居者の方に申し訳ない。

職場のスタッフにも負担を増やしてしまう。


複雑な気持ちがゆずきを攻めた事でしょう。


人一倍責任感の強い子です。


だからこそ、自分には負けない!


そう心の中で自分を励ましながらもゆずきだから、仕事を続ける事が出来たのでしょうね。


でも、

ストレスは、自分では気付かない内に溜まっていくんです。


自分の体が思うように動かなくなったゆずき

段々仕事に自信を持てなくなっていきました。



でも今は独立してる。

生活費は自分で稼ぐんだ!



けして母の私に助けを求めたりはしなかったんですよ。


私も心配はしていたものの

そんなゆずきの性格は理解してましたからね。

あの子から助けを求めに来るまでは、自分からゆずきに対して金銭的な援助はしませんでした。


その代わりに、と言っても、大した助けはしてないんですが

一緒に外食したり、家に呼んで夕飯作ってあげたりとか。

休みの日には一緒に買い物行ったりとか。


当たり前の事なんですけどね。


少しでも、ゆずきとの時間を作って、話しだけでも聞いてあげたいな。


そう思ってました。


だけど…


やっぱり足りなかったのかなぁ…


子供の頃に与えてあげるべき母親の愛情。


ゆずきとまた一緒に暮らせるようになって、今までの分を取り返さなきゃ!


そう思って頑張って来たつもりだけど…


あの子は私との生活を1年半で捨て、1人で生きる道を歩いていってしまった…



ねぇ

ゆずき


ゆずきは、本当は母が嫌いなの?


好きなふりして、笑ってただけなの?


まるで幼稚園生が母親に甘えるように、膝に頭を乗せ


ねぇ母


笑ってたゆずきは本当のお前じゃなかったの?


今、ゆずきの心がどこにあるのか

母にはわかりません……